研究員の久保田君から中央公論新社の『科学と芸術』という本を半年くらい借りたままになっている。そろそろ返さねばと思い、感想を聞かせてほしいという方もいたので、ざっと読んで感想を書くことにした。本書は2022年出版で、2018年出版の『科学と宗教』、2021年出版の『科学と倫理』と合わせた「真善美」の三部作の掉尾を飾るものである。
一番面白かったのは、最初の千住博氏(日本画家)と酒井邦嘉氏(言語脳科学者で三部作のもととなった討議の場である科学隣接領域研究会リーダー)の対談だった。芸術とは何か、科学とはどういう関係にあるのか、ということが対談形式にもかかわらずかなり論理的な展開で書かれている。・芸術は普遍的であると同時にサイトスペシフィック
・芸術はこの世界を把握しよりよく生きるための手段。科学の始まりもおなじ。
といったあたりが心に残る中心的テーマだった。
・芸術はインスピレーションではなく経験とイマジネーション。経験していないことは想像できない。知らないことに人は感動できない。
・芸術も科学もすべての人が等しく使えるもの(誰かの所有物ではない)
・芸術は図らずも不完全。完璧なデジタル化社会でも、不完全な人間の営みを尊重しなければならない。
ということも心に残った。
その他は、各論というか、例えばベートーベン、南方熊楠、ゲーテ、能、建築、庭、といった核となる人物や芸術があり、その人物や芸術にかかる芸術性と科学性の関わりのようなことが論じられている章がほとんどだった。それぞれはそれぞれに面白いのだと思うが、私の少ない知識と経験では消化しきれない感じがあった。とはいえ「曼荼羅」や「能」といった多少でも触れたことがあるテーマについてはなるほどと思うこともあったので、経験すること、考えたことがあること、というのは物事を理解するのに重要であると改めて思った。学生が1-2年次に講義を聞いても何のことかさっぱりわからないのと同じで、自分の手で実験して研究に携わるようになってようやく、物事を深く考えられるようになる。
もうひとつ私が興味を惹かれたのは「理学・工学・アート・デザインとウェルビーイング」という章だった。以前に聞いたMITメディアラボの伊藤穣一氏の講演で「Krebs Cycle of Creativity」の図が示され、Art・Science・Engineerin・Designの性質と関係性について述べられていた。本書でこれはMITのNeri Oxmanによる図で、それ以外にも複数の人が複数のモデルを提唱していることを知った。それぞれに面白いモデルだと思った。
次は山梨県立図書館にある『科学と宗教』を読んでみたいと思う。今、旧統一教会と政治の関係が大きな問題となっている。宗教は本来的には「世界と私たちの関係」を知ってよりよく生きようとする手段であり、それは上述の科学や芸術と同じであるはずなのに、人をコントロールするのにもってこいの手段でもあるため、往々に政治利用されてきた歴史がある。ここまで考えて、あれ、ちょっと待てよ、と思った。「世界と私たちの関係を知る手段」について、15年ほど前にNHKの視点論点で若手写真家の石川直樹さんが次のようなことを言っていた。「“自分探しの旅”という言葉を耳にするたびにぼくはむずがゆいような違和感を覚えます。この場合の目的地は外界ではなく、自分の内面へと向かっているからです。本来の旅とは自分を変えるために行うものでも癒しのために行うものでもなく、自分と世界との関係を確かめ、身体を通して自分がいま生きている世界について知る方法ではなかったのでしょうか。」なぜこれを覚えていたかというと、東北大学での学位授与式の答辞で、この話を引用したからである。その時には、「知識を得ることによって、知らなければ気がつくことのできなかった世界に出会うことができるということを、紆余曲折を経て社会人博士課程で勉学を進める中でそのことにようやく気がつくことができた」という文脈で引用した。しかし、今、『科学と芸術』を読んだ後で改めて考えてみると、科学そのものが「世界と私たちの関係を知る」ための手段ではないか。そしてそれは、芸術も同じ、宗教も同じ、旅も同じ。人間として生きて活動して考えていることそのものが、世界と私たちの関係を知り、よりよく生きようとする営みに他ならないといえるのではないか。