2021/05/23

学ぶということ

 先日、NHKラジオの『高橋源一郎の飛ぶ教室』で、「どんなことでも新しく知るのは楽しい」という話がありました。源一郎先生の還暦に近い友人がバイクの免許をとろうと教習所に通っていて、「情けなくて大変だけど、学ぶのが楽しいんですよ。学校に行くのは40年ぶりだから」と言っていたそうです。「彼は初心者の喜びをまた知りたくなったのだろう。年をとると新しいことを学ぶのが面倒くさくなる。新しいことを知らなくても生きていけるし、生活もできる。でもなんだか少しさびしくつまらない。どんなことでも新しく知るのは楽しい。小学校1、2年生のときに新しい教科書を開けたるだけでワクワクしたように。もっと小さいころは、雨が降った後の水たまりを見るだけで楽しかった。」

 学校で学ぶことは果たして楽しいでしょうか。学生時代、私は正直、学ぶことは苦痛でした。覚えないといけないこと、身に付けないといけないことがどんどん追いかけてきます。どんなおいしい食べ物もおなかいっぱいのときにぎゅうぎゅう詰め込まれれば苦痛なのと同じかもしれません。

 今年から、「基礎化学」の講義を持つようになりました。講義が始まる前にとったアンケートに、不安なこととして「化学は覚えることが多くて苦手」ということが書かれていました。私は、「大学では「覚えなさい」とは言わない。本質を知ることが大事。」と伝えました。そして3回の講義で、高校で「原子は陽子と中性子でできた核の周りを電子が軌道をもって回っています」と教わってきたことを、どういう経緯でそうと分かったのか、また、本当の原子の姿はどうなのか、という話をしました。2回目の講義の後のアンケートで「原子というものの存在がまだ明確ではなかった時に、実験から原子が存在することを確信したドルトンさんはすごい」と書いてくれた学生がいました。

 講義で教える、ということを考えるとき、是恒さくらさんという研究者でもあるアーティストが「芸術はそれを見る前と見た後で世界の見方が変わるもの」という話をされたことを思い出します。これは芸術に限らず、あらゆるプレゼンテーションにいえることで、講義もその一つのはずです。世界の見方がちょっとかわる、ということが学ぶことのワクワクの根源にあるのではないでしょうか。私の講義は果たして、それを聞く前と聞いた後で少しでも世界の見方が変わるものになっているか、そう思いながら、次の講義の準備を進めています。


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