昨日、京都大学農学部生体機能科学研究室の同窓会で聴講した、信州大学の巽 広輔 教授のお話がとても面白かった。黒板の真ん中に縦に1本、線を引き、左に「実学」、右に「虚学」と書き、巽先生が学生時代、教養部化学教室の堀智孝先生から「虚学を大事にしなさい」といわれた、という話から始まった。左、すなわち実学に相当するのは「工学」、右、虚学に相当するのは「理学」。この対立軸の左右は、ApollonとDionysus、秩序と創造、安定と破壊、保守と革新であり、ドラえもんとのび太でもある。ドラえもんだけでものび太だけでもお話にはならず、両者がせめぎ合い、complementaryに補い合ってこそ成り立つ。PlanckとEinstein、古典派とロマン派、ともいえる、という話から、生体機能科学研究室のもうお亡くなりになられた古い先生から現役の先生、研究室出身者、研究室と近しい先生らについて、思い出やお人柄を語りながら、どの先生はどちらの人、その弟子のどなたは、師匠への反発からか、こちらの人、というような話をされた。どちらが偉い、ということではないが、Hegel(でなかったかも)は、Apollon(左)が非独立、Dionysus(右)が独立、という意味で、Dionysus(右)の方が偉い、と言ったそうだ。啓蒙と信仰、homme civil (公共人)とhomme naturel (自然人)、社会のために生きる人と自分のために生きる人、でもある。General (大将)とは左右いずれも行き来できる人。Apollonの仮面を被ったDionysus、Dionysusの仮面を被ったApollonもいるし、一周回って別の性質が、という方もいて、必ずどちらかに完全に分類できる、というものでもない。
私は完全にApollonで、子供の頃はDionysus的な男子の行動を全く理解できなかった。「なんでみんな先生のいうことをきかないんだろう。こういう迷惑な人たちは、いなくてもいいのに。」と(そこまで深刻に「いなくなっちゃえばいいのに」というほどではないが)考えながら。夫はDionysusで、同じくDionysusの男の子を育ててみて、ようやく、夫を含めたDionysus的「男子」の行動原理が何となくわかった。Dionysusは大事にしなければならない、ということも。そして、昨日の講演を聞いて、なんやかんやでここまでこられたのは、complementaryだったからなのかとも思った。
ドラえもんとのび太に代表されるように、ApollonはAI的でDionysusは人間的とも言えそうな気がする。ゼロからイチをつくるのは、Dionysus。AIが台頭する世の中、四半世紀前に堀先生が巽先生に仰った頃よりさらにDionysusを大事にしなければならない時代に来ているようにも思う。「社会のために生きる人」ではない「自分のために生きる人」を。研究費の配分も「社会に役立つ研究」に偏らず「興味としての研究」に投資することが、結果として国のため、人類のためになるのではないだろうか。
巽先生の話の一番のキモは、「両者がcomplementaryに補い合ってこそ成り立つ」というところ。後の宴会で聞いたところ、この話は実はSDGsの講義をするときに、持続性と発展性が相互に補完しあわないといけない、と言うときに使う話が下敷きになっているとのことだった。私は「持続的に発展」なんて虫のいいことができるわけない、と思っていたので、こういう優しくポジティブなSDGsの解釈の仕方もあることはちょっとした発見だった。もし、講義でSDGsをポジティブに話さないといけないときは、ぜひ使わせていただこうと思う。